紅茶の本場・英国で茶の文化が始まったのは17世紀の中頃から。当時、新しい飲物として英国に入ってきた珈琲と茶はとても人気がありました。その珈琲と茶を売り出すコーヒーハウスがたくさん作られました。

最初のコーヒーハウスが出店されたのは1650年。オックスフォードにユダヤ人がオープンしたお店です。その後、英国人のトーマス・ギャラウェイがロンドンに《ギャラウェイ》というコーヒーハウスを出店し、コーヒーやココアと一緒に茶を売り出すようになりました。

実はこの2年前にすでに、ロンドンでは茶の広告が出されていました。《サルタネス・ヘッド》というコーヒーハウスが出したもので、「中国人によってチャ(CHA)、他国ではテ(TAH)もしくはティ(TEE)と呼ばれる飲み物が、王立取引所付近のスィーティングス・レントのサルタネス・ヘッドコーヒーハウスで販売されている」と。

1660年にはギャラウェイが茶の宣伝用にパンフレットを作成しました。「夏にも冬にも適切な温かい飲み物。老人に至るまで健康を保持させてくれ、病気にも利く」といった内容のもので、30項目にも及ぶ効用を謳って宣伝。

しかしこの当時飲まれてていたのは中国産の緑茶が主流。紅茶が本格的に飲まれるようになったのは紅茶の輸入量が増えた18世紀に入ってからです。

1642年、英国は清教徒を中心とする平民革命が起こりました。1649年には当時の王・チャールズⅠ世が処刑されて王制廃止となり、共和制が始まりました。

しかし1658年、革命の指導者であるオリバー・クロムウェルが死去。それを受けてフランスに亡命していたチャールズⅡ世が帰国。1660年には王政復古となりました。その際に迎えた妃がポルトガルのブラガンザ王家の王女・キャサリンです。

1662年、王女・キャサリンは7隻の船を従えて輿入れしました。その船には、当時貴重で高価なものであった砂糖がぎっしり積まれていたとか。ちなみに当時の砂糖は、銀と同等の価値がありました。

その砂糖と一緒にキャサリンが英国に持ち込んだもうひとつの宝が東洋の茶でした。英国のトップレディたちがたしなむ茶は、あっという間に王侯貴族や上流階級社会に流行しました。ロンドンのコーヒーハウスで茶をたしなむ人が増え、王族御用達の茶商人が現れたのもこの頃です。

コーヒーハウスがあまりにも盛況だったため、社会的に有害だと考えたチャールズⅡ世は1675年にコーヒーハウス禁止令を発令。ところが民衆の支持が強かったため、撤回を余儀なくされました。それによって茶はますます盛んになっていき、やがて庶民の飲料水となるまでになったのです。

その後、チャールズⅢ世とメアリ女王の時代になり、東インド会社の交易品が多く流通します。それに従って中国趣味が広がり、それらの嗜好品を手に入れた上流階級層の人々は、召使いに茶の入れ方を覚えさせ、茶や茶器を楽しむようになりました。

さらに18世紀初めは女王・アンの時代。美食家のアン女王は酒好きの紅茶好き。生活習慣として日常に紅茶を楽しむ時間を朝から晩まで取り入れました。さらにコレに倣う国民。丁度この頃に東インド会社の交易が軌道に乗り、さまざまな茶葉が輸入されるようになりました。その中から、英国の人々が好むようになったのは発酵茶である紅茶でした。こうしてアン女王の時代に、ついに紅茶文化が英国に根付き始めたのです。

なんと、キャサリン妃が英国に持ち込んだ茶は、政治まで動かしてしまうほどの影響力を発揮。その後も紅茶愛飲家・アン女王によってさらに勢力をました紅茶はついに、英国の文化として確立。う〜ん、トップレディ、恐るべし。