茶の文化がヨーロッパ圏に取り入れられた当初、中国茶の輸入は英国東インド会社にだけ認められたものでした。しかし1833年にはその特権も廃止され、中国貿易の自由化が始まりました。同時に一攫千金を狙った茶葉商社が英国各地に開業し、茶貿易競争は一気に加速したのです。するとこの茶葉をいかに速く運べるかが競われるようにまでなったのです!

「何それ〜?」

いえいえ。当時はこれを本気で競い合ったんです。そこで登場したのが、紅茶を速く運ぶことのできる3本マストの快速船・ティークリッパーです。

英国のティークリッパーは中国の港からロンドンのテムズ河の港まで新茶を運ぶためのその快速ぶりを誇っていました。しかし1849年、長期に渡って英国の茶貿易から外国船を排除していた航海法が廃止になったことで、米国のより速いクリッパーが参入してくると、英国のクリッパーでは手に負えなかったのです。それ以降、より速いクリッパーの造船することに拍車がかかり、英国・米国では次々と名船と呼ばれるクリッパーが誕生しました。

新鮮でできるだけ新しい茶に人気が集まり、高値で取引されるようになったため、中国の港からロンドンの港まで何日で到着できるかが、各国のクリッパー船が競争を繰り広げ始めたのです。ついでにいうと、その道のりは約3ヶ月にも及ぶものです。

その競争は賭けにまで発展し、英国人はそれにも夢中になりました。1856年には、1番にロンドンに着いたクリッパーには莫大な賞金を出すといった茶商人が現れたほどです。

英国の船主たちはこぞって速い船を造船し、数々の名船が作られました。ファイアリークロス、テーピン、セリカ、タイシン、エアリエル…しかし、最も有名なのは幻の名船《カティーサーク号》でしょう。

「それってウイスキーボトルのラベルの、あの3本マストの船のこと?」

そう、それです。カティーサークっていうのは紅茶を運ぶためのティークリッパー船の名前。スコットランド語で“短い下着”の意味です。

なんでこんな変な名前を付けたのかって思った人、結構いるでしょう?これにはあるいわれが関係しています。

スコットランドに住む農夫が友人と酒をしこたま飲んだ後、雷を伴う風雨を気にもせずに老馬にまたがって帰宅する途中の出来事でした。通りかかった教会の庭先で偶然、悪魔や魔女が踊り狂っている現場を目撃してしまうのです。その中に、唯一美しい姿がありました。それが妖精のナニーでした。ナニーは上半身を露にカティーサーク姿で踊っていて、それを見た農夫は美しさに思わず「いいぞ、カティーサーク!」と叫んでしまったのです。

農夫に気がついた悪魔たちが農夫を追いかけて始めます。特になニーは足が速く、農夫がどんなに鞭打って馬を走らせても、すぐそこまで追いついてきます。やっと川辺に辿り着いた農夫は、馬と一緒に川に飛び込みました。同時にナニーが空を飛び左手に馬の尾っぽを捕まえて引っこ抜いていましたが、捕まえることはできませんでした。そしてこれナニーはこれ以上、農夫を追うことをしませんでした。実はナニー、水が嫌いだったのです。こうして農夫は一命を取り留めました。

快速船に求められるのは、速くて不沈船であることです。船主は足が速くて水を嫌う妖精・ナニーに願いを込めて《カティーサーク》と命名したのです。

しかし、カティーサーク号は悲運の船でした。浸水するのが1869年11月22日と決まっていたのですが、その約1週間ほど前にスエズ運河が開通され、蒸気船が主体となる新たな航路へと切り替わっていったため、カティーサーク号は浸水する前に活躍する場を失ってしまうことになったのです。